単著
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万博と戦後日本 2011年
戦後日本を画した五つの万博。高度成長の熱狂と「大阪万博」、沖縄返還と「海洋博」、研究学園都市と「科学博」、環境問題と「愛・地球博」。大衆の夢=「成長」と国家政策=「開発」は、所得倍増計画の下に癒着、そして乖離し、開発主義政策システムは破綻する。万博の裏で蠢く国家、官僚、地方、知識人、産業界、市民運動家の葛藤に、戦後政治の限界を看破する。 弘文社(河出文庫版 2009年) |
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大学とは何か 1987年
いま、大学はかつてない困難な時代にある。その危機は何に起因しているのか。これから大学はどの方向へ踏み出すべきなのか。知のメディアとしての大学を、中世ヨーロッパにおける誕生から、近代国家による再生、明治日本への移植と戦後の再編という歴史のなかで捉え直し、大学の理念を再定義する画期的論考。 岩波書店 |
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博覧会の政治学 2010年
18世紀末にフランスに誕生した資本主義の祭典=展示会は、19~20世紀、各国の万国博覧会へと発展する。国家は「帝国」と「商品」をディスプレイし、博物学的まなざしは、日常生活領域へと浸透すると同時に、大衆の欲望=娯楽・見世物性を満足させる。博覧会という場が孕む微視的な権力の作用を明らかにし、スペクタクルの社会理論を提示する。 講談社学術文庫 |
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ポスト戦後社会 1987年
バブルとその後の長期不況、深まる政治不信、そして高まる社会不安。列島が酔いしれた高度成長の夢のあと、何が待ち受けていたのか。崩れゆく冷戦構造のなかで、この国は次第に周回遅れのランナーとなっていったのではないか。六〇年代半ばから現在まで、政治・経済・社会・家族…すべてが変容し崩壊していく過程をたどる。 岩波書店 |
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親米と反米―戦後日本の政治的無意識 1987年
戦後日本社会は、基本的に深く親米的であり続けたのではないか。その感覚は、「反米」世論が高まったときすら、通奏低音として流れ続けていたのではないか。戦前戦後にわたる、大衆的なレベルでの親米感覚に焦点をあて、日本の近代や戦後天皇制、ナショナリズムの構造との不可分な関係について考察し、それを超えていく視座を模索する。 岩波書店 |
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万博幻想―戦後政治の呪縛 2005年
高度成長の頂点を象徴する大阪万博から数え、二〇〇五年の愛知万博は日本で開催される五度目の万国博覧会である。その間、万博は一貫して、豊かさへの大衆的な欲望と国家の開発主義政策との癒着を可能にする仕掛け―万博幻想―として機能してきた。本書は、こうした「幻想」を広く長く作用させてきた「政治」の場としての万博の内実とその行く末を、国家と地方行政、財界、知識人そして大衆の間に繰り広げられるせめぎ合いに焦点を当てることで浮き彫りにする試みである。 筑摩書房(講談社学術文庫版 2011年) |
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メディア文化論 2004年
メディアって何だろう?― 有斐閣 |
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カルチュラル・ターン、文化の政治学へ 2003年
カルチュラル・スタディーズの地平から、消費文化とサブカルチャー、グローバル化とメディア・ナショナリズム、新しい空間論と文化的公共圏等々の問題を広く深く論じ、現代社会を批判的に読み解く豊饒な理論の集成。 人文書院 |
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カルチュラル・スタディーズ 2000年
文化を、すでにそこに在り、固有の内容を含むものとする我々のまなざしの背後には、いかなる政治学が内包されているのか。単なる実証主義的な文化研究を超えて、それ自体を「問題化」することとは、何を意味するのか。「対象」としての文化から、「問題」としての文化へ。カルチュラル・スタディーズの問題構制を歴史的に位置づけなおし、近代における文化概念の存立そのものを問い返す。 岩波書店 |
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リアリティ・トランジット 1996年
東京ディズニーランド、オウム真理教、マスコミ、天皇制、都市、TVアニメ、ファミコン(RPG)、テレフォン、メキシコ・シティ、ジャン・ボードリヤール、孤独な群衆…80年代後半~90年代の事件・現象を見つめ、人びとのリアリティの変容を水平・鉛直の両軸から測定する同時代論。 紀伊國屋書店 |
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「声」の資本主義 1995年
「声」がブルジョア的記号として、流通しはじめる一九世紀。電気的テクノロジーが、つぎつぎに新たなネットワークを生み出した。大衆の想像力…。資本の欲望…。国家の戦略…。混沌たる草創期のメディア状況と消費社会のダイナミクスを解明する。 講談社 |
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メディア時代の文化社会学 1994年
電話、テレビ、パソコン、メディア、イベントなどメディアは日常的な親近性をもってわれわれの感覚のレベルに浸透している。生活意識や感覚を無意識に変容させるメディアの多元的な様相と、その諸層へ個々人がインターフェイスする情報空間のドラマ。 新曜社 |
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博覧会の政治学―まなざしの近代 1987年
帝国主義のプロパガンダ装置、消費社会の広告装置、見世物としての娯楽装置、博覧会は大衆の欲望や感覚をどのように動員し、再編したのか?18世紀末にフランスに誕生した資本主義の祭典=展示会は、19~20世紀、各国の万国博覧会へと発展する。国家は「帝国」と「商品」をディスプレイし、博物学的まなざしは、日常生活領域へと浸透すると同時に、大衆の欲望=娯楽・見世物性を満足させる。博覧会という場が孕む微視的な権力の作用を明らかにし、スペクタクルの社会理論を提示する。 中央公論社(講談社学術文庫版 2010年) |
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都市のドラマトゥルギー東京・盛り場の社会史 1987年
盛 り場を「出来事」として捉える独自の手法によって都市論の可能性を押し広げ、近年の文化研究にも影響を与え続けている新しき古典。「浅草」から「銀座」 へ、「新宿」から「渋谷」へ-東京における盛り場の変遷を軸に、そこに群れ集う人々がドラマを織りなす劇場としての都市のダイナミズムを活写する。 弘文社(河出文庫版 2009年) |















